大人が読む児童書「カチーナの石」3 きょうは 死ぬのにもってこいの日
大人が読む児童書。
「積ん読・解消計画★児童書編」です。
この記事はネタバレしていくことになりますので、未読の方はご注意ください。
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大人が読む児童書
夏休み。アメリカ・ロスアンゼルスへやってきたサトルは、初対面のおじいちゃんとふたりきりでのこされてしまう。おじいちゃんがおんぼろ車でつれていってくれたのは、千八百キロも離れた、インディアンの村だった。小学上級から。(「BOOK」データベースより)
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こちらから、ネタバレ感想になります!
読了です。
旅の果てにサトルくんが出会ったのは、人の死でした。
サトルくんが熱中症になった所まででしたが、、すっかり元気になりました。
おじいちゃんとお話をして、サトルくんはおじいちゃんの中にある不思議な孤独を感じました。
なぜ一人で家族とも離れ、アメリカに住んでいるのか。
おじいちゃんは「おばあちゃんがここにいるから」と言います。
亡くなったおばあちゃん、そしておじいちゃんの口から ホピ族の精霊カチーナのことが語られます。
ここに来た時に垣間見た、子供達も避けていた家、キヴァ。
祈りによって聖霊を神降ろしするための家でした。
サトルくん、ここであれほど打ち込んでいたサッカーゲームが役立つ時が来ました。子供達とボールで交流をします。ボールはともだち。サッカーを教えてあげています。
カチーナの精霊たちによる、葬送の儀式が始まりました。
おなかにひびく、大太鼓の音。すずとひょうたんの澄んだ音。地面を踏む足音と、仮面の下からきこえてくる呪文のような歌声…。それらがひとつになり、大きな音のうねりになって高い空に舞いあがっていく。
たくさんのカチーナたちと、この大きくて雄大な自然が一体となっていきます。
別れの時に、一つの石をもらいます。カチーナの石です。精霊の宿る石。
生と死と精霊と大地、元気になったサトルくん。
おじいちゃんのお友達であった、インディアンの のおじいちゃんは静かに息を引き取りました。
最後に、おじいちゃんがナンシー・ウッドの詩を引用します。
きょうは 死ぬのにもってこいの日だ。
生きようとするものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしのなかで合唱している。
すべての美が、わたしの目のなかで休もうとしてやってきた。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
きょうは死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かにとりまいている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
きょうは死ぬのにもってこいの日だ。
びっくりして、思わず本棚を探しました。
この詩、もうとうに忘れて久しかったのに、スタディサプリの講座から不思議なことに、こんな騒ぎのさなかにめくったページに、突然降ってわいたように飛び込んできた、ナンシー・ウッドの詩でした。
最後にサトルくん、これから厳しい人生を生きていかねばならないだろう、難民の子供たちに遭遇します。
終盤の方に向かって うねりのように盛り上がっていく感動は、大人にも問いかける力を持っていました。
子どもたち、読んでたとえ忘れてしまったとしても、何かのきっかけでふと思い出すことがあるかもしれません。
どうしてこの本をレビューしようかと思ったかというと、絶版になっていたこともあり、いい本だったこともありますが、この生と死をと今、身近に感じている中でもう一度生きている意味を問い直すきっかけになりました。
豊かさを必死に追い求める中で置き去りにしてきたもの。
(このような文化活動も、経済に支えられているものですから、豊かさを安易に否定するようなことはできませんが──)
一歩立ち止まって、静かに内省するきっかけになりました。
◇
ここからの「大人が読む児童書」では…。
「ともしびをかかげて」「冒険者たちーガンバとカワウソの物語」などに挑戦してみたいと思っています。
「ともしびをかかげて」は読了しましたが、ガンバの冒険は実はまだ未読なのです!楽しみです。
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