今日の一冊「百まいのドレス」
今日、ご紹介するのは、かなりしっかりしたページ数の多い、「本型の絵本」です。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日の一冊
「百まいのドレス」を持っていると言い張る、まずしいポーランド移民の女の子ワンダ。人気者で活発なペギーが先頭に立って、みんなでワンダをからかいます。ペギーの親友マデラインは、よくないことだと感じながら、だまって見ていました…。どんなところでも、どんな人にも起こりうる差別の問題を、むずかしい言葉を使わずにみごとに描いた、アメリカの名作。ロングセラー『百まいのきもの』が50年ぶりに生まれかわりました。(「BOOK」データベースより)
「岩波の子どもの本」シリーズは本当に名作ぞろいでした。
これもその中の一冊です。以前は「百枚のきもの」という名前でした。
少し訳にも手が入り、復刊されました!
さてこの本、読み聞かせするには長いです。長すぎです。
「子どもの本シリーズ」は、ピンキリで字が多かったり少なかったりなのですが、これは字もわりとぎっちりです。
読みきかせをしていたら、途中で投げ出すレベルです。
なんだか不思議な物語です。
少し地味で、暗いのではないかな~と思うお話なのですが、なぜか惹きつけられて、何度も読んでしまいます。
主人公の女の子、マデラインも、あれこれといつまでも一人であれこれ考えてしまうタイプです。
きょう、月曜日、ワンダ・ぺトロンスキーは、学校へきていませんでした。
という一文からお話ははじまります。
子どもが読んでいく限り、いったいこの子どもたちがどこに住んでいるのかもよくわからないままです。
ワンダはいつも古ぼけた同じ服を着ています。
住んでいるのも貧民街のようですし、席もはみ出し者の固められるところにあって、お友達もいません。
ある日ワンダは、あるタイミングで「あたし、うちに、百まい、ドレス持ってるわ」と言います。
周囲の女子はびっくり!いつも古い同じ服を着ているのに?
それがからかいの始まりでした。
序盤に、「リンカーンのゲティスバーグの演説をあんしょうしているところでした」があり、この物語がアメリカのものであることがわかります。
これは子どもは自分で読んでいるかぎり、わからないです。
なんとなくどこともしれない西洋で起きた不思議なお話です。
でありながら、この子どもたちの間で起きていること、なんとなく教室でもはみ出している外国人の子、恰好も古ぼけており、話し方もおかしい、友達もいない。ワンダ・ぺトロンスキーという「変な名前」。
この西洋のどこともしれない出来事が、実際に教室で起きているのと同じ出来事であると、子どもたちは直感的にわかります。
終盤になると、ワンダがポーランド人であったことがわかり、かつ「からかわれないように大きな街に引っ越す」という父親の手紙の記述が出てきます。
これは、アメリカの保守的な、比較的小さな田舎町で起きた出来事のようだと、おとな目線では知られます。
主人公マデラインのお友達のペギー、ことあるごとにワンダのことを「百まいのドレス」ネタでからかいます。
「ドレスがあるんでしょ?」「ドレスあるの?」
からかうことは習慣になってしまい、誰も止める人はいません。
ワンダはからかわれるだけのことをしている、と子どもたちは思っています。
おかしな恰好で奇妙な言葉、いつも同じ古い服を着ているなら、嘘なんてつかなければいいのに。
そういう認識です。
そして、物語は、ワンダ・ぺトロンスキーが学校に来ていなかった、という一文からはじまります。
このお話に、「いじめ」という単語はほぼ出てきません。
なんとなく女性グループのいやらしさを描いているようで、それほど、どぎつくデフォルメされていません。
からかいの首謀者である、マデラインの友達、ペギーも、「いじめられている子がいればかばい、動物がひどいめにあわされるのを見て泣く子」です。
からかう女子の中にも、わかりやすい悪役はいないのです。
そういうのが、ほんとうは一般的なんじゃないかなと思います。
マデラインはペギーのからかいにひとり悩みます。
というのも、マデライン自身もそれほど裕福ではなく、服はおさがりであったりするからです。
からかうのをやめてくれたらいいのになあ、とマディは思います。
このお話のすぐれている所は、とても写実的なことです。
丁寧に、しっかりと子どもたちの心理をそのままに描いています。
百まいのドレスごっこは、こんなにしてはじまったのでした。
ほんとにだしぬけに、おもいがけないことからはじまって、だれもかれも、ひとりでに、そのなかへひきずりこまれてしまったのです。ですから、もしだれかが、マディ―のように、この遊びをいやだと思っても、どうすることもできなかったでしょう。
それでいながら、見開きのページを使って、はっきりとはしていないぼんやりとしたパステル調の絵によって、教室の壁一面に貼られたワンダの絵を見たときの衝撃──。
胸を打つものがあります。
読み終わった子どもさんが言いあっていました。
「嘘じゃなかった。あったんだよね心に。イメージの服があったんだよ」
「この子、ぜったいデザイナーになるよ。空想ってほんとにすばらしいね」
「空想は楽しいね。その服を着てぴかぴかの大広間を踊ってるのを想像するのが楽しかったんじゃないかな」
「最後にもらった手紙がまたいいね」
ワンダは最後に、みんなに手紙を送ります。
それがまた、ちっとも暗くありません。
ワンダのお父さんからの手紙のように、受け入れてくれなかった恨み節のようなものはなくて、どちらかといえばこちらの学校を恋しがっているようでした。
あの「ドレスもってるの?」「百枚、ずらっとならべてあるの」という会話、それは投げかけるほうはからかいであり、かるいイジリのようなものであったのでしたが、ワンダはむしろコミュニケーションとして捉えていたようでした。
なぜなら、嘘ではなかった、本当だったのです。
たんすの中にあったドレス、とは、この百枚以上の「絵」であったと思われます。
「きっと、ワンダはこの子にはこんな服が似合うなって想像してたんだろうね。そして家に帰って描いていたのかもしれない。心でつながってたんだね」
ペギーもワンダがいなくなった時には気にします。
マデラインがあれこれ思い悩み、もう二度とこんなことがないようにしよう...、謝りたい…という気持ちが、読んでいるこちらの胸にしっとりと入ってきます。
そしてワンダがいじめとしてだけとらえてはいなかったという「許し」を得たとき、子どもたちの「百まいのドレスごっこ」は優しい思い出へと変化を遂げます。
とても美しい、繊細な物語です。
「いじめはだめだ」「からかいはだめだ」と百回、言葉で言うよりも、この物語を読むほうがずっとその意味が入って来ると思われます。
ロングセラーであるのも納得の一冊です。
◇
「岩波の子どもの本」シリーズは、「こどものとも」の絵本よりも少し字も増えてストーリーも複雑になり、文学的な内容も多くて非常に非常にいい感じでした。
この頃は、「こどものとも」→「子どもの本シリーズ」→「少年文庫」といった、本、読書につながるきれいなラインがありました。
今、あの頃に読んだお話を探して購入し、子どもに与える方も多いと思います。
このあたりの本がもう少し…充実して欲しいなあと思うことがあります。
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