ケストナーの傑作「ふたりのロッテ」再読2 隠せない村上春樹臭のするお父さん
大人が読む児童書。
「再読★児童書編」です。
この記事はネタバレもしていくことになりますので、未読の方はご注意ください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日の一冊
おたがいを知らずに別々の町で育った、ふたごの姉妹ルイーゼとロッテ。ある夏、スイスの林間学校で、ふたりは偶然に出会います。ふたりは、大胆な計画をたてるのですが…。
出会いが嘘のように仲良くなった二人は、いつも一緒に過ごすようになります。
「あの二人はともだちにならなければなりません!」
という先生の意図は完遂です。
ここで、いたずら心で二人ともおさげにしてみるのですが、先生も友達もぜんぜんわかりません。
しかしルイーゼの級友のトゥルーデの試し方が面白いです。
片方のおさげをひっぱって、あっという間に平手打ちしてきた方がルイーゼ。
「ロッテもね、蹴っ飛ばされたくらいで泣くなよ!ルイーゼなんてね、ほら気に入らない女の子もぶんなぐるから。わたしだってね、やってみなさいよって怒り爆発その場で20発ホントは100発なんだけど80発まけてやるよみたいな(by「今日から俺は」)…(略)」
妹子、まだ言ってます。
仲良くなった二人は、自分の家庭について話しあいます。
それから自分の出生についても話しますが、ここでびっくり、誕生日も一緒、生まれた場所も一緒だったのです。
しかし、妹子は鋭かったです。(まあ、当たり前ですが…本の紹介にも書いちゃってるし…)
「こんなに似てるなんてもう、ふたごなんじゃないの!?でなきゃありえないでしょ!」
と叫んでました。
この二人は、離婚した両親がそれぞれ引き取った双子だったのでした~!
「妹子鋭かったね」
「よく考えたらこんな似てる二人がどうしてここにいるのって。ん?おかしいな?そんなわけあるかな?って思ったんだよね!」
ここで二人が9歳なことがわかります。
(14歳のすごいおばあさん、という記述が出てきます。これは笑いました)
小3~4、まあ考えもはっきりしてきながら、子供らしい所も十二分に残っているので、何をしでかすかわからない年ごろです!
そして二人は、お互いのまだ見たことのない両親を知るために、入れ替わる作戦を立てます…!
ここが面白い所なのですが、二人は入れ替わるために、かなり用意周到に作戦を練ります。
・お互いの周囲についてよく話し合う。
・知り合いについてのカンペを作って交換。
・数日前から入れ替わっておいて、友達や先生にバレないかどうかリハーサル。
余念がありません。
お母さんの写真をロッテは持っていたので顔を見せることができましたが、お父さんの写真がありません。
ルイーゼはお父さんに至急手紙を送って写真を送ってもらうのですが…。
このお父さん面白いです。
個人的には、ま~腹が立つ人物像なのですが。
芸術家肌なだけあって、ものすごい村上春樹臭がします。
まあご覧ください。
きみは、一家の大黒柱がどんな顔だったか、すっかり忘れてしまったようだね。夏休みがおわるまえに、どうしても写真がほしいだなんて言ってくるんだから。はじめは、わたしの赤ん坊のときの写真を送ってやろうかと考えた。白クマの毛皮の上にころがっている、裸ん坊の写真だ。でもきみは、たったいまとったのでないといけない、と書いてある。やれやれ。わたしはすぐさま写真家に走った。ほんとは、そんな時間はなかったのだが。そして、なぜ至急、写真が必要か、写真家にきっちり説明した。わたしはこう言ったのだ。写真がないと、駅にむかえに行ったとき、わたしのルイーゼはわたしを見分けられないらしい、とね。
やれやれ。
やれやれだけでないです。この文章そのものが、全体的にものすごい村上春樹です!
このお父さん、作者であるケストナーでさえ、「ときどきお尻をひっぱたいてくれる人がいないものだろうか」なんて書いてある人なのですが、それも芸術家ゆえのさがなのです。
離婚の原因もそこにありました。
もしかしたら村上春樹もときどきお尻をひっぱたいてくれる人が必要なのかもしれません。やれやれ。
(村上春樹にはとんだとばっちりです)
◇
映画の脚本だったというだけあって、すごくドラマチックです。
最初の出会い、似てる!…お互いの印象、最悪…嘘のように仲良くなる…生き別れた双子!…そして二人は…入れ替わる!
妹子がんっ?となって本に前のめりになってぐっと鼻を突っ込んだのはこのあたりでした。
「えっ?入れ替わるの?えっ?えっ!?」
もう、面白くてやめられない止まらない~です。
ちょっとここで整理すると
ルイーゼ=元気=らんぼう=シングルファーザーのお父さんと暮す
ロッテ=おとなしい=家事得意=シングルマザーのお母さんと暮す
お父さんは35歳(ぐらい)
お母さんは20歳になるかならないかで二人を出産。
二人は9歳 。
なので、離婚当時、お父さんは当時26歳。お母さん20歳。
現在は、お父さん35歳、お母さん29歳、ということのようです。
◇
ここで妹子がこんなこと言ってました。
「小3か~?ん~、まあまあ、そろそろグループが出来るかできないかってところかな!あのね、グループになると逆にけんかが耐えないんだよね。他のグループの子と話した話さないとかですぐけんかすんの!グループがあまりなくて、他の子とも普通に話すクラスっていうのは、楽しいね!グループを作りたがる子はまあ、不安なんだろうね。でもねグループなんてね、作らない方がいいよ!」
はあなるほど。
色々あるよね。子どもの世界は。
今は、担任の先生がとても良い先生ので助かっています。
子供はつらいよ。
池田香代子さんのあとがきも、このひとことから始まっています。
この話は「離婚した夫婦の子どもたちの物語」ですが、ケストナーはこんな風に書いています。
この世には、離婚した親がたくさんいる。そういう親のもとでつらい思いをしている子どももたくさんいる、また逆に、親たちが離婚しないためにつらい思いをしている子どももたくさんいる。そして、親たちのせいで子どもたちにつらい思いをさせるなら、子どもたちとそういうことについて、きちんとわかりやすく話しあわないのは甘やかしだし、まちがったことなのだ
ケストナーは、このお話で離婚した夫婦の問題を扱っていても、離婚することが悪だとか、子どものために我慢すべきだとか、そういう事を書いているのではないのです。
離婚というおとなたちの問題が、子どもたちにとって決して他人事ではないということ、夫婦の不和が子どもにとって、それはつらいことなのだということ、夫婦の問題から、子どもを締め出してしまうべきではない、ということを言っています。
あとがきで池田香代子さんはこんな風に表現しています。
ケストナーは、多くはおとなのために子どもがつらい目にあうことは、子どもだから仕方のないことでもなんでもない、と言ってくれます。子どもは怒っていいのだ、とすら。そして、頭をしゃんともたげて、つらいことに向き合う子どもたちを、ケストナーは心から尊敬しています。
大人になってケストナーを読んでわかったことですが、子どものころ、悲しみと向き合わなければならなかったとき、わたしがほしかったのは同情でもはげましでもなく、この尊敬なのでした。それは、「子どもなのにえらいね」とか、「けなげだね」といった、いわば一段高いところからのほめことばではありません。困難な立場を力いっぱいひきうけているひとりの人間として、みとめてほしかったのでした。
おとなになって読んでみて、子供の頃は単純にそのワクワクするストーリー展開が好きでしたが、今となっては子どもたちにそそぐ目がいたいほどです。
名作はおとなにも子供にも語り掛ける力がありますので、ぜひおとなの方もご一読、おすすめします!
(再読はまだつづきます)
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