~珠玉の児童書~

~珠玉の児童書の世界~

学校で塾で、読解力を身に付けるには本を読め、と言われる。ではいったい、どの本を読めばいいのか?日本が、世界が誇る珠玉の児童書の数々をご紹介。

今日の一冊「十八番目はチボー先生」

大人が読む児童書。
「再読★児童書編」です。


この記事はネタバレもしていくことになりますので、未読の方はご注意ください。

 

>力をこめた紹介記事☆超絶☆名作

>今日の一冊 軽くご紹介

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

今日の一冊

 

十八番目はチボー先生
フランソワ・モーリヤック (著), 杉捷夫 訳 (著)

 

 

この本、e-honでは「現在お取り扱いできません」になっていますし、Amazonでは何と¥17,500-のお値段がついています。
絶版本なのですが、ずっと大好きで手元に残していた本です。

 

今、改めてみると、ウン十年越しに、今更、気が付きました。
作者がモーリヤックではありませんか。
ノーベル文学賞作家だー!うそぉ…。

今更気付くなんて遅すぎる。

 

この本をはじめてページをめくった時のことを、どうしてかはっきりと覚えています。

 

なぜなら、「これはまたものすごくつまらなそうだなあ」と思ったからです。
「さすがにないわ」とも思いました。

 

はっきりいって、冒頭は完全に大人の小説です。
とても小学生が読むものとは思われません。

 

若い女性が汽車に入ってきて荷物を置き、でぶっちょの話ずきの男の人にからまれます。
挿絵といい、様子といい、古きよきハリウッド映画それも白黒時代のもののようです。

 

行く先が同じだったので、このめちゃずうずうしい男性は、あれこれ話しかけてこの女性の目的を探ろうとします。
この女性こそがチボー先生。
11歳の男の子の家庭教師として雇われて来たのでした。

 

旅館の食事だとか、あれこれ聞いてもいないご当地情報をマシンガンのように話しまくる男性、家庭教師として来たことを知るとびっくりした顔をして、それから笑い出します。
そして「やれ、気の毒な!」と言います。
こうなってはチボー先生も事情を聴きたくなります。

 

──やれ気のどくな、とは、なぜでしょうか? とってもいいかたたちだと、間に立ったかたが保証してくださいましたが。それに、やといいれの条件もわたくしとしては、思いのほかに有利でしたし……
こんなことまで、つりこまれて言ったことがはずかしくなって、女のひとは、キュッとくちびるをかみました。

 

この会話がもはや、児童文学とはとても思われません。
いや本当に、冒頭から家庭教師の先生の採用条件についてまで描写する子どもの本なんてあるでしょうか?

 

しかし、このあたりからどんどん、どんどん、右肩上がりで面白くなってきます。
生徒である11歳の男の子、お母さんが亡くなって、お父さんとおばあちゃんと、(この時代なので)乳母さんに育てられています。

 

この三人の大人が、現代のモンスターペアレントも真っ青な甘やかしをしているので、この子供もおそろしいほどわがままになり、手がつけられない乱暴になってしまっています。
チボー先生、とりあえずこの大人たちを一時的に別居させておいて、この子と奮闘を重ねるのですが…。

 

妹子「この親!この親だめでしょ!ふざけんなよ甘やかしてりゃいいと思うなよ」

 

試しに妹子に読んでみてもらったのですが、このモンスターペアレントたちがあまりにもムカつくので、どんどん読み進めてくれました。
これは兄助(妹子の兄)も、ガンガン読んでくれたので、やっぱりこんな冒頭なんですが面白いのです。

 

ちらっと取り上げてみたらやっぱり面白いのでこの記事を書いたのですが、今回はじめて、じっくりとあとがきを読んでみました。

このあとがきがまた...。
一体誰に読ませようとしてるのー!?というような、ものすごい大人向けの文章です。
そもそも、子供の本でも、大人も同時に読むものとして設定されていはいないのだろうか?

 

もしかすると、昔はそれが普通だったのかな?

 

1958年初版、62年前の作品です。
訳された杉捷夫さんのあとがきのごく一部ですが、こんな感じです。

 

人の心の持っている秘密の世界へはいっていくのが小説家の仕事であると、モーリヤックはいつも考えているようであり、少なくとも、今までの作品ではそれを実行しているように思われます。その世界はいつも複雑ではかることのできない深さを持っていることが多いようです。

 

「だいじなことは、じぶんとこの子の間に、議論をしたり、言いあいをしたりする機会を生まれさせることだ。」(一五二ページ)
おそらく、これらのことばの中に、この童話で作者の書こうとしたことの核心がやどっていると思われます。

 

確かに、こんな風に主人公のチボー先生が、おそるべき甘やかされっ子の暴君に対して考えるシーンがあります。
ていうか、冒頭もそうなんですが、完全におとな目線の小説なんです!

 

しかし、少年の心情を描く部分ももちろんありますし、メインはこの少年のビフォーアフターにあるわけなので、児童文学…う~ん、子どもについての本であることは間違いないです。
雇用条件について書いてても。

 

このあとがきは、どう考えても子供が読むはずがないです。

 

人間の心の世界、それはしばしば、まともに見ることもできないくらい、濁ったおそろしい世界ですが、それをあきることなく、描きつづけている作家であると言えましょう。人間のみじめさと、そのみじめな人間にたいする深い愛情がこの人の作品の底をつらぬいているように考えられます。

 

世界は複雑で、とても割りきることはできない。しかし、芸術(文学)は何かの形で割りきって、これをうつしとる。もしくは、これにかたどったべつの世界を築く。そのばあい、複雑で混沌としているものをできるだけ混沌のままとらえるのに、文章 - 文体というものが大きなはたらきをする。

 

訳者のかたの、並々ならぬモーリヤックへの敬愛の念を感じます。
恥ずかしながら、これ、面白かったな~と思って手に取って、検索して中古¥17,500-のお値段にびっくりして、それから紹介しようとして…。
で、今回はじめてあとがきまでくわしく読んだわけです。

 

「小説の技術は、何よりも、現実の転位であって、現実の再現ではないことを、みとめなければなるまい。ひとりの作家が生きた複雑さの何一つをも犠牲にしまいと努力すればするほど、ますますつくりごとの印象をあたえることは、おどろくべきものがある。(略)人々は、舞台がその真実の土台を、すなわち詩を、ふたたび発見した時でなければ、死をまぬがれないであろうということを、感じはじめている。」
(『小説家とその作中人物』)

  

このお話、モンスターペアレントもしかり、反抗期の男の子の行動や心理がまんま同じだったり、今読んでもすごく共感できます。
また、このおそるべきぼうやの心を開いたのが、音楽に対する情熱であった所など、じ~んときて胸熱になります。

 

紹介しようと思わないと、ここまで見直すことはなかったと思います。
よい本は、ずっとそばにいて大人になった時にもあらゆる面で寄り添ってくれるものなんだなあと思いました。

 

どこかで見かけることがあったら、ぜひ読んでみてもらいたい一冊です。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

テレーズ・デスケイルゥ
モーリヤック (著), 杉 捷夫 (翻訳) 形式: Kindle版

ボルドーの荒涼たる松林を吹きぬける烈風にそそのかされたように、なぜ、と問われても答えられぬ不思議な情熱に誘われて、テレーズは夫を殺して自由を得ようとうするが果せず、しかも夫には別離の願いを退けられる……。情念の世界に生き、孤独と虚無の中で枯れはててゆく女テレーズを、独特の精緻な文体で描き、無神の世界に生きる人の心を襲う底知れぬ不安を宗教的視野で描く名作。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

whichbook.hatenablog.com

 

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