~珠玉の児童書~

~珠玉の児童書の世界~

学校で塾で、読解力を身に付けるには本を読め、と言われる。ではいったい、どの本を読めばいいのか?日本が、世界が誇る珠玉の児童書の数々をご紹介。

大人が読む児童書「水の子」 2 そもそも論。水の子とは何ぞ?

今日、ご紹介するのは児童書です。

 

>力をこめた紹介記事☆超絶☆名作

>今日の一冊 軽くご紹介

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

今日の一冊

 

水の子―陸の子のためのおとぎばなし

キングスレイ (著), クルックシャンクス (イラスト), 阿部 知二 (翻訳)

煙突そうじの少年トムは,仕事中お屋敷のおじょうさんの部屋に入ってしまい,どろぼうとまちがわれてにげるうちに,川に落ちて「水の子」となります.ファンタジーの古典

 

 これまでのレビュー

「水の子」 絶版になっている貴重名作

大人が読む児童書「水の子」 1 レビューするのが難しすぎる。

 

 

さて、この煙突そうじの少年のトムくん、サー・ジョンのお屋敷をおそうじすることになりました。

いわゆるイギリスの士郷、ジェントルと呼ばれる上流階級のマナー・ハウス(だと思われる)のですが、煙突たくさんです。
いっぱいあります。

 

あまりにも多い煙突の中を歩き回っているうちに迷ってしまったトム、ある部屋にたどりつきました。

そこでトムは、美しい清潔な部屋に眠る、見たことがないほどきれいな女の子を見ました。

 

とても美しい魅力的なシーンです。

 

トムはおどろいて息もつまるほどだった。雪のように白いおおいの下に、雪のように白いまくらの上に、まだ見たこともないほど美しい女の子が眠っていた。ほおはまるで、まくらのようにまっ白だし、髪は金の糸のように、寝台のうえ一面に波うっていた。 トムと同じ年ごろか、一つか二つ大きいくらいだったろう。しかしトムはもうそんなことは考えもしないで、ただその清らかな肌と黄金色の髪を見つめた。

 

ここで、トムが一瞬で恋に落ちるとかそういう展開にはならず、この綺麗な女の子、エリさんの存在を目の当たりにすることによって、トムは、

「自分がすすで真っ黒に汚れ、ぼろを着た存在であること」。 

つまり「自分は汚い」ということに気付いてしまいます。

 

トムはじっと立ちすくんで見つめた。この人はまるで天国からおりてきた天使のようだった。
いや、この人がきたないなんてうそだ。きたないわけがない、と、トムは思った。それから、「よく洗えばだれだってこんなにきれいになれるものだろうか。」とも考えてみた。それで自分の手首をながめてみた。そしてそのすすを落そうとしたが、とてもすっかり落ちてしまう見こみはなさそうだった。「だが、この人のように育っていたら、ぼくだって、もっとかわいくなっていたかもしれないや。」

 

あくまで子ども同士としての対比です。
この人のように育っていたら、ぼくだって、もっとかわいくなっていたかもしれない。

 

 

トムは、自分が放置され、大事にされていない子どもであるということに気がついてしまいました。

ショックのあまり、その場を去ろうとするトムですが、大きな音をたててしまい、何かどろぼうか悪いことをしたのだと勘違いされてしまいました。屋敷の者たち総出で追っかけられる事態となります。

逃げる者追う者が、さらに追いかける人間を増やすという、ある意味炎上騒動のような状態になってしまいました。

 

この逃走劇は、あらゆる脱線をしながら、かなり長いこと繰り広げられます。
クモ、とかげ、きつねと子ぎつね、らいちょうなど、さまざまな動物たちのそばを通り過ぎます。

そのそれぞれに、ひとつひとつ、細かい設定と小話がつく、といった具合です。

 

それにしても、何もしてないのに追っかけられるトムは可哀相です!
逃げることとなった理由もかわいそうだし、理不尽な炎上もかわいそうです。

 

作者はこんな風に書いてます。

 

そしてトムはどうなったかというと、はだしで森の中に逃げこむ小さな黒ゴリラのように猟場を走ったのだった。かわいそうではないか!だってトムには、こんな時に助けにきてくれる親ゴリラもないではないか。もしおとうさんのゴリラでもいたら、爪のある手の一撃で園丁の腹の中をかきまわし、二撃で乳しぼりの娘を木にぶつけ、三撃でサー・ジョンの首をねじ切り、その間に歯でもって畑番の頭をまるでヤシの実か、道路のしき石でもかみくだくようにやっつけてしまったにちがいない。
だが、トムには、とうさんがあった覚えもなかったのだから、べつにさがそうともしないで、ひとりでやってゆく覚悟をきめていた。

 

作者の、トムに向ける目はあたたかいです。

 

 

トムは、教会の鐘が鳴り響く村を目指して走り、(途中で親切なおばあさんに助けられたりもするのですが)、熱を出して夢遊病者のようになり、ふらふらと川へ向かいました。

 

そして「洗いたい」「きれいになりたい」という願いに取り付かれたように、川へ飛び込んでしまいます。

 

よくよく調べてみると誤解はとけました。
(炎上あるあるです)

心ある人たちはみんな涙を流すのですが、親方のグライムズは泣きもせずに飲んだくれてすぐに忘れてしまいました。

 

 

さてこの、トムは川に飛び込んでしまったという展開。
姿は見えず、浮いてこず、川岸に服だけが残されているという状態を、どう捉えるか。

 

みんなは、トムが死んでしまったものと思い、でも、ここでお話は、
いいえ、トムは「水の子」になったのです!
という流れです。

 

実はこのあとに、あのきれいな女の子、エリさんも、「海沿いで岩から足を滑らせて人事不正になってしまい、天使たちが来て窓から連れていってしまいました」という展開になります。

 

おとぎ話とはいえ、これをどう解釈するか。

 

やはりこれは、何となくですが、漠然と死を暗示しているだろうなと思います。

 

しかし、子ども~青年期には、まったくそういう風にはとらえませんでした。
これはやはり、おとなならではの視点です。

 

なぜなら、おとなになった今、トムのような境遇の少年が現実にいるし、エリさんのような事故も多くあり、その多くが死につながってしまっていることを、経験として知っているからです。

 

ここが、どこか「失ってしまった子どもとしての心、視点」であるような気がして、何となく切ないです。

 

でも、そのかわりに、この物語がいかに子どもたちに対して愛をもって描かれたものであるか、ということを知ることができるようになったんじゃないかな…。
(と自分を慰める)

 

 

「水の子」になったトム。

 

妖精たちと、「水の子」という存在を信じるか信じないか。ここがまた、かなり長くて面白おかしいです。

 

わたしたちのようなおとなで「いや、これ……〇んでるよね……?」という人たちも対象です。

大真面目に、脱線しながら、けむに巻くような楽しい話をまじえて説明します。

 

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また、川の流れの中で、色々な水生生物たちと、ゆかいな暮らしを送ります。
相当のページを割いて、延々とあれこれと単語の羅列が続きます。
これがまた、とても面白いです!!

 

 

生き生きとしたトムの、川の中での生活。

 

それが、やっとあるがままに子どもであるようになれたトムの、いかにもな子どもの姿です。
いたずらあり、遊びあり、好奇心いっぱいです。

 

さて、もし私のこの話がいやになったら、教室にいって九々表でもお習いなさい、──もしそのほうがおすきなら。それはきっと九々の方がすきだという人もあるでしょうがそれでもいい。私はかまわない。それはみな人びとの自由です。ことわざにもあるように、世の中にはいろいろなものが必要なのだから。

 

たぶん、この「水の子」は、
何も考えずにちらっと手にとって読んだけど、超面白かった。
というのがいちばん正しいのではないかと思います。

 

 

 

 

whichbook.hatenablog.com

 

 

「水の子」版権切れの原著(英語版)です。

www.gutenberg.org

 

 

 

「プロジェクト・グーテンベルク」
http://www.gutenberg.org/ebooks/author/492

 

プロジェクト・グーテンベルクについて
Wikiの説明ページ

プロジェクト・グーテンベルク(Project Gutenberg、略称PG)は、著者の死後一定期間が経過し、(アメリ著作権法下で)著作権の切れた名作などの全文を電子化して、インターネット上で公開するという計画。1971年創始であり、最も歴史ある電子図書館

 

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