今日、ご紹介するのは児童書です。
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今日の一冊
ピンクちゃんとあだなをつけられた気の弱い少年次郎が、尊敬する高杉晋作にならい、決心して一人旅に出かける。軽快なテンポのユーモアで’60年代を代表する児童文学の名作。再刊。(「MARC」データベースより)
大人が読む児童書「山のむこうは青い海だった」 1 児童書は「その時代の子供の物語でなければならない」ということはない
アンガーマネジメント。
時代を50年くらい先取りです。(正確には43年前)
時代を先取りしてるだけではなくて、この一息ついて「いや、まあ、待て」というのは、このお話の中で怒りだけに特化したものではなく、ちょっと慌ててしまった時、パッと駆け出そうとした時、様々な時に使っています。
アンガーマネジメントなん言葉でくくってしまうと、そこから広がらなくなってしまいますよね~。(さりげなくディスってる?)
このユーモラスな先生に、「100円あったら何がしたいか」という題名を出された子どもたち、しきりと考えます。
この100円、何と「お札」です!!
さすがに今の時代だと、1000円というところでしょうか。
「1000円あったらなにがしたい?」
一億円よりぜんぜん夢があります!
それに、子どもたちにも手がとどきそう。
妹子「やっぱり、鉛筆の先っちょはかむんだね」
わたし「!?」
妹子「海外の本でも日本の本でも、みんな、鉛筆のさきを噛むんだよ」
わたし「それは多分ね昔を鉛筆の質がそれほど良くなくて、濃さの種類もそれほど多くなかったから、薄くて色が出なかったんだろうね」(根拠なし)
◇
次郎はこんな風に書きました。
「百円で往復キップを買います。
行く先は知らない土地、行ったことがないところをえらびます。
着くとおりて、できるだけそのあたりを歩きまわります。山があるとのぼりますが、なければ川をさがしてそれにそって行きます。
おべんとうをたべてもう一度そこを歩き、よく見て、帰ってきます。
ただし、おべんとうは百円の中にはいりません。母さんに寄附してもらいます。
1F 山根次郎」
うーん、素敵!
最高!!
旅に出る展開のお話は多々あれど、こんなすてきな夢のある、しかも具体的な展望を眼前に展開されたら、みんな旅に出たくなってしまうと思います。
先生もほめ、皆はからかうのですが、次郎くんは赤くなってしまいます。
「ピンクちゃん」なんてからかわれています。
妹子「さとみくんだ」
わたし「だまって」
(ストプリねたです)
◇
このホームルームでの話がきっかけとなって、次郎くんという、12~13歳の少年はひとり旅をはじめます。
中学生になりたての小学生だった子には、ものすごい大冒険だろうなあ!
行先は亡くなったお父さんのお墓参り、電車に乗って少し遠方の設定になっています。
妹子「おかねあんのか。どこにとまるんだ。ほんとに大丈夫なのか」
怒涛の心配です。
年が近いからなのでしょうけど、親近感を抱いている様子です。
旅そのものは主眼ではなく、割とすぐに終わって、着いた場所でのおさななじみの少女や、その友達との交流、起きるドタバタやミステリーが本筋なのですが、この旅の描写がとてもていねいで、そしてとてもすてきです!!
◇
・次郎君、老人に席をゆずる。
妹子「『近頃の若い者は、などと申すまじく
わたし「『まじく』が否定形だな。『
妹子「『近頃の若い者はなんて言っちゃだめだなあ』ってことか」
・亡くなったお父さんの思い出。お母さんのお兄さん、つまり次郎の叔父さんが、戦死して骨箱となった思い出。
妹子「粟おこしってなに?」
ああ!
わたし「食べたことないかもね!関西圏では一般的でよく売られてるんだけどね」
関東でだって売ってるかもしれません。
と思って検索してみたら、一発目で「関東で粟おこしが手に入る場所」なんて出てきました。
わたし「かなり固いしざらざらしてる。ポンポン菓子を飴状の砂糖で固めてるよいうな感じ(説明難しい)」
妹子「そんなもんおにぎりにいれんなよ」
次郎の戦死したおじさん、いたずら者で、次郎くんのお母さん(つまり妹)のおにぎりに、粟おこしを入れていたことがあったのです。
骨箱にはお骨ではなく石が入っており(「この世界の片隅に」の鬼いちゃんと同じですね)、しんみりとしながらも、「戦争はダメだー!!」というわけでもなく、楽しい思い出を描いています。
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・席を譲った老人との交流。
このお爺さんは花火師なのですが、どうやら復員兵であることが何となく語られます。
もと将校のようで、かつての部下たちを雇って仕事しているようです。
「昔の戦友や上官と部下が集まって商売していることはよく聞く」という記述もあとで出てきました。
・家で次郎の家出?が気付かれる。
ちょうど家庭訪問?にやってきた井山先生と、次郎の友達たち、そして次郎のお母さんが次郎の旅に気が付きました。
(次郎は手紙を残しています)
・電車の中で念仏をとなえるおばあさんのエピソード。
これは「山のむこうは青い海だった」の中でも、屈指の印象的なシーンです。
戦後の電車は、どこもかしこもいたんでいて、脱線、転覆があたりまえだった。
運よく満州から生きて帰ることができたおばあさんの一人息子は、年取ったお母さんのためによろこんで闇米を運び、二度目の転覆事故で死んだ──。
昭和54年に出版されていますが、おじさんが戦死していたり、復員兵が集まっていたり、戦争の余波が生活にとけこんでいる感じがします。
それが押しつけがましくなく、あからさまな反戦の空気もなく、実に自然で、物悲しさ、悲哀も(たとえば粟おこしのエピソードのように)ユーモラスな日常に彩られ、一体となっています。
青空は、死んだ人の魂の上にも、生きている人間たちの上にも、同じように明るく澄んでいた。
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妹子「こんなかなしいことってある?」
わたし「そこはお母さんも何度読んでも泣いたわ」
妹子さん、すこし黙ってましたけどまたしゃべりはじめました。
妹子「長岡の花火ねえ、先生が言っていたけど、ブルーシートしいてねころんで見るだけで六千円だって。花火ってあれ、おかねかかってるんだよねえ」
色んなこと、この本から吸収してるんだなあ。
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突然の父の死。祖母の死。そして戦争がはじまった。日々の暮らしのなかで何が変わり、何がなくなっていったのかを、多感な時期を迎える“ぼんぼん”・洋の目をとおして語る。さまざまな人間模様、危険なできごと、淡い恋心――。力強く生きぬく少年の姿を、大阪弁にのせて、ていねいに描いた作者の代表作。(解説=山田太一)
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昭和46年度から平成12年度までの定評のあった、国語教科書のお話を、あざやかな挿絵そのままに、児童書にしました。時計の中に住んで時を告げているチックとタックの2人が、夜中にこっそり抜け出して、わさび入りのおすしを食べて「ジッグ、ダック」時計が鳴るようになった千葉省三「チックとタック」(第1巻)を皮切りに、50代~60代の方にも懐かしい翻訳作品「小さい白いにわとり」(第3巻)など、すでに絶版で他では読むことのできないまぼろしの名作の数々を収録。
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貧困、いじめ、勇気、学問…。今も昔も変わらないテーマに、人間としてどう向き合うべきか。時代を超えた名著、新装版で再び。
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くじらのような、イルカのような大きな飛行機が海に浮かんでいます。大勢の猫たちがそれに乗り込み、「ごろごろにゃーん」と出発です。「ごろごろにゃーん」と、飛行機は飛んでいきます。魚を釣りながら「ごろごろにゃーん」。くじらにあっても「ごろごろにゃーん」。山を越え、街をながめ、飛行機はにぎやかに「ごろごろにゃーんごろごろにゃーん」と猫たちをのせて飛んでいきます。長新太の真骨頂! 斬新で愉快な絵本です。
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猫 (中公文庫)
大佛 次郎 (著), 有馬 頼義 (著), 尾高 京子 (著)
谷崎 潤一郎 (著), 井伏 鱒二 (著), 瀧井 孝作 (著),
猪熊 弦一郎 (著), クラフト・エヴィング商會 (編集)
猫と暮らし、猫を愛した作家たちが、思い思いに綴った珠玉の短篇集。半世紀前に編まれたその本が、クラフト・エヴィング商會のもとで、新章“忘れもの、探しもの”を加えて装いも新たに生まれかわりました。ゆったり流れる時間のなかで、人と動物の悲喜こもごものふれあいが浮かび上がる、贅沢な一冊。
「プロジェクト・グーテンベルク」
http://www.gutenberg.org/ebooks/author/492
◆プロジェクト・グーテンベルクについて
☞Wikiの説明ページ
プロジェクト・グーテンベルク(Project Gutenberg、略称PG)は、著者の死後一定期間が経過し、(アメリカ著作権法下で)著作権の切れた名作などの全文を電子化して、インターネット上で公開するという計画。1971年創始であり、最も歴史ある電子図書館。
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太平記 | ソクラテスの弁明・クリトン | 雨月物語 |
どろぼう がっこう | おたまじゃくしの 101ちゃん | こいぬとこねこのおかしな話 |
こども論語 | 完訳版 シャーロック・ホームズ全集 | 大食いフィニギンのホネのスープ |