ふりがなについて悩む、川端康成大先生 「世界少年少女文学全集」の≪ふろく≫
あけまして、おめでとうございます🎍
いつもながらに、通常運転のこのブログ。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年第1日目の話題として、ここのところ、続けて話題にしている、「世界少年少女文学全集」の「ふろく」に載っている説明が、とても面白かったのでご紹介します。
少し長いですが、本の本体ではなく、「ふろく」のことでもあり、全文抜粋させていただきました。
この「世界少年少女文学全集」の、編集のどなたがこの文を書いたのかはわかりません。
ただ、「編集」としか書かれていないです。
しかし、そうそうたるメンバーの中でも、筆頭である川端康成氏が、この編集の文章を読んでいないわけがない、と思います。
なので本当は題名は
ふりがなについて悩む、川端康成大先生(をはじめとする編集陣) 「世界少年少女文学全集」の≪ふろく≫
が正しいです。
◇
こちらからがその説明文です。
ふりがなについて
編集部
本全集のふりがなについて一言申しあげておきます。
読者のみなさまからいちばん多く要望されたことは、ふりがなをもっと多くしろ、ということでした。漢字にはぜんぶふってくれというかたもございました。これに対して絶対ふりがなはつけぬように、ふりがなをつけないで、わかるように表現すればよいという御意見もありました。特に国立教育研究所の方々(中でも石黒修(よしみ)先生からは直接御意見をいただきました)からはふりがなは反対のおたよりをいただいています。
これによると、「ご意見好き」は、昔から変わらずにあったみたいです。
ふりがなをふれといったり、ふるなといったり…。
苦労がしのばれます。
PTAや子供会でも思いましたけど、「子どものため」という大義名分があると、喧々囂々のものすごい活発な議論になります。
愛は盲目といいますか。
こちらの編集部は相当にしっかりとした自分の考えの軸をもち、自信をもってこの全集を編纂していたことが思いやられます。
教育漢字は学校の教科書で学年毎に教わるわけですが、特に国語の教科書と密接な編集のできていない社会科の教科書などでは、文字の読みかたをおぼえて、実物の研究調査にあたるというのが現状で、漢字を制限し、略体文字にしても、なお、漢字のふくざつさはへってはいません。たとえば上という字は、ウエとよみます。しかし、ジョウとも、ウワとも、ショウとも、アゲともよみます。
確かにこの複雑さは、なかなか難しいです。
漢字の読みは、本を読むことでしか経験値として溜まっていきませんから、やっぱり本を読むのは大事ということですよね!(無理矢理感)
日本では百の単語をおぼえるのに四時間五〇分かかるのに、イギリスの子どもは三六分でおぼえられる。イタリアでは二年生で新聞がよめる。ソ連では四年生の教科書にツルゲーネフの猟人日記が入っている。つまり、日本では、外国にくらべると、七・八〇倍の文字を習わねばならぬ運命にあるのです。大学を出ても読めぬ字があり、文筆を業とする人でもまちがった字を書くこともあるようです。日本語はじっさいむずかしいのです。
個人的には、日本語の複雑さが思考の邪魔になっているとは決して思いませんし、「外国」とひとくちにいってもさまざまあると思いますが、ここで興味を引いたのは、「ソ連では」
ソ連…!
確かに、これが編纂されたのは、ソ連の時代でした。
そして、「四年生の教科書にツルゲーネフの猟人日記」
すごいなあ。
ツルゲーネフの「猟人日記」は決して読みやすい感じではありません。
大人でもちょっと、な感じです。
むしろ「はつ恋」とかの方がいいのでは?
(ちょっと特殊な性癖を刺激してしまうかもしれませんけども…)
この全集ではなるべくふりがなをつけずにいきたかったのですが、読者のはばを考え、日本語のふくざつさを思うと、三・四年生でおぼえる漢字にはつけないまでも、その他はぜんぶつけるという方針に従わざるをえませんでした。ただしページのはじめに出た漢字が同ページに出てきた場合はふりません。何はともあれ、これは文学であって教科書ではなく、わからない文字のために感覚を中断されてはまずいこと、また教科書でおぼえない活用と新しい字になれるということ、そしてできるだけひらがなを使い、国語をわかりよい、美しい、リズムのあることばに創造してゆくことなどに注意をひけたいと思います。
「文学であって教科書ではなく、わからない文字のために感覚を中断されてはまずい」という所に、子どもに対する真剣な配慮がみられます。
読んでいても、本当に美しい文章だなと思います。
「へびのたまごは、おいくらだい?」(ジャングル・ブック)
「青いとりさん はよおいで」(青い鳥)
ちょっと笑ってしまうようなユーモラスさと同時に、リズムがあります。
江戸時代の文語体を使っていた時代に近い人、そのような文章に触れることが多かった時代の人は、リズムをすごく大事にされてるなと思います。
さらに子供の本には割と「、」が多いです。
多い「、」を嫌う人、いますよね。
「、」が多くて読みにくい!というご意見は、Amazonの書評などでもよく見かけます。
しかしこれは、こどもが文字をどこで区切ればいいのか?と思うことに配慮してのことだと思います。
元来、少年少女文学という特別の分野があるのもおかしいので、これはおとなも子どもも読む本当の文学なのです。アンデルセンは子どもの時読んでも、おとなになって読んでも感激します。その理解力の質と感銘の深浅(しんせん)はあっても。これがほんとうのメールヘン・童話です。外国のすぐれた童話は人間の本質・真実を書いているので、永遠に伴侶になりえます。また、ことばも特に子どものことばなどで書いていません。おとなも子どもと同じことばだからです。日本だけが、ことばの混乱のために学級別童話などというふしぎなことをしているのです。
元来、少年少女文学という特別の分野があるのもおかしいので、これはおとなも子どもも読む本当の文学なのです。
というのが、この全集を編纂したかたがた(川端康成氏含む)のご意見です。
(実際には、GutenbergやアメリカのWikipediaにも、Children's literatureというジャンルはちゃんとありますので…そう言い切れるかどうかは…?どうかな…?ではあります。)
子どももおとなも同じに通用することばで、真理を美しく、新しく表現した文学──それがわれわれのメールヘンの課題です。
ふりがな問題には大きな意味がふくまれているようです。
メルヘンという言葉が、現代では頭お花畑というイメージになってしまっているのは、悲しむべきだなと思います。
かといって、ヤングアダルトという言葉も、どうしても微妙に感じてしまいますし。
難しいです。
このブログではよく、「大人が読む児童書」を冠してはいますけど、「児童書」とは何なのか。
子供のためのものなのか、子供も大人も越えた文学作品なのか。
レ・ミゼラブルやクリスマス・キャロル、三銃士、小公女、小公子は、果たして「児童書」なのか。
議論もあり、さまざまな考え方があるところではあると思います。
しかしやっぱり、子どもに本を与えるのはおとなです。
本を読むことを教えるのもおとなです。
そういう立場からして、「こどもに」というはっきりした目的と視線があるのが、児童書なのだと思うのです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
このふろくが挟まっていたのは、「宝島」「ジャングル・ブック」が入っていた巻でした。
ジム少年は,トレローニさんや医者のリヴィシー先生とともに,海賊フリント船長がうめた莫大な財宝を探しに出帆する.ぶきみな1本足の海賊シルヴァーの陰謀にまきこまれ,はげしい戦いが始まる….手に汗にぎる海洋冒険小説の名作.
グーテンベルクで出ています。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
オオカミに育てられた少年、モウグリは、ヒグマのバルーや黒ヒョウのバギーラに見守られ、ジャングルのおきてを学びながら、すくすくと成長していく。宿敵のトラ、シア・カーンとの対決など、さまざまな冒険を切りぬけ、ジャングルの主になったモウグリだったが、やがて春がおとずれ……。キプリングによる古典的名作。新訳。
こちらは無料の原作(英語版)です。
「プロジェクト・グーテンベルク」
http://www.gutenberg.org/ebooks/author/492
◆プロジェクト・グーテンベルクについて
☞Wikiの説明ページ
プロジェクト・グーテンベルク(Project Gutenberg、略称PG)は、著者の死後一定期間が経過し、(アメリカ著作権法下で)著作権の切れた名作などの全文を電子化して、インターネット上で公開するという計画。1971年創始であり、最も歴史ある電子図書館。
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